大国主命
徳川家康、大国主命 (大黒様)ご利益
徳川家康公は大黒さまを崇敬していたというお話
太閤秀吉が三面大黒さまを福の神として信仰したことは、秀吉の念持仏としたと伝わる京都、円徳院の三面大黒天像秀吉型などが伝わり、よく知られているが、徳川家康公にいたってはあまり知られていない。
徳川家康は、ある時大黒さまの夢を見てこれは吉夢だとして、奈良の甲冑師に命じて大黒頭巾形の兜(かぶと)を用いた具足を造らせ、これを御霊夢形といって大切にしたという。天正十二年(1584)に家康が羽柴秀吉と小牧、長久手で戦ったとき、勝川という所でこの具足を着けて戦い大勝利したので勝川の具足と名付けられた。
また、家康は天正十年に信長に招かれ上洛した帰りに、明智光秀が本能寺で信長を襲ったでのあるが、身の危険を感じたのか、三河に帰る途中に漢国神社に大黒頭巾形の兜がついた具足を奉納している。
晩年の家康は肥満していて自分を大黒天のように福々しく描かせ耳も大黒耳のように福相として頭巾を被らせている。二百七十年も続いた天下泰平の江戸時代を開いた立役者には大黒様のイメージが似合ったのであろう。
家康の大黒崇拝は、大黒様が、そのルーツがインドの神様で、全てのものを破壊し、また救うマハカラ、シバ神の化身という忿怒形(ふんぬぎょう)の恐ろしい顔をした神であったが、日本に伝わってにこにこ顔の福徳を強調した福の神に変わっていく過程での中世頃の戦闘神として信仰された例である。
随筆「耳袋」、大国主命 (大黒様)ご利益
江戸時代、大黒に祈ったら床下から金が出てきた話
江戸時代の後期、下級武士から勘定奉行・町奉行まで出世した根岸肥前守鎮衛(やすもり)が書いた随筆「耳袋」の中に「大黒に祈りて福を得し事」というのがあります。
元禄の頃、浅草に善五郎という大変正直な者がいて、大黒様を念じていたが霊験がないままでいた。あるとき、夢に大黒さまが現れ傍らに金銀財宝がたくさんあるのを見て、「私は長年大黒天を祈念しているから少し私にも恵んで欲しい」と頼みました。
その後、夢のお告げに随って色々なことがあり家の床下の土中から金三百両が出てきました。夫婦はこの金を元手として懸命に働きましたので程なく裕福な身となったということです。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/8261/reiken/daikoku.html
豊臣秀吉、大国主命 (大黒様)ご利益
三面大黒天というのは、秀吉の出世守り本尊として知られています。
秀吉は挫折ばかりの少年時代に三面大黒天に出会います。直感で自らの守護神と定め、身近にその肖像を置くようになってから運が開けてどんどん出世し、最後には天下人にまでなります。どんな願望も聞き届けてくださるという大黒天にさらに、毘沙門天、弁財天が加われば願いは次々と叶えられるのですね。
http://www.miyako80.co.jp/60002112a/archives/2784
豊臣秀吉の少年時代は悲惨でした。尾張国中村(現在の名古屋市中村区)の百姓の子として生まれた秀吉は7歳で父と死別し、母の再婚相手から虐待される不遇の少年時代を送ったといいます。寺に預けられたもののすぐに追い出され、帰り着いた家では貧しい家計を支えるため薪を刈る重労働の日々。15歳の時わずかな金を渡されて家を出て、木綿針の行商をしながら放浪します。
最初に仕えたのは今川氏配下の松下加兵衛という武将です。秀吉は一生懸命働いて目をかけられたものの、先輩たちに疎まれて陰湿なイジメに遭います。蔵からの盗難を防ぐ対策を立てたところ、盗んでいた先輩たちが「あのサル(秀吉)が真犯人だ」と逆に濡れ衣を着せたのです。秀吉は孤立無援となり、何の落ち度もないのにリストラされてしまいました。再び放浪の身となった後は職を転々としながら食いつないでいたといわれます。
そんな辛く苦しい挫折ばかりの少年時代、偶然出会ったのが三面大黒天です。秀吉は強力な三神が三位一体となった三面大黒天を見るなり「これは凄いぞ!」と直感します。そして自らの守護神と定め、常に身近に三面大黒天の小像を置くようになりました。この出会いが彼を変えました。
とつぜん運が開けたのはその後です。当時まだ尾張の小大名にすぎなかった織田信長に仕えることになり、天下人への第一歩を踏み出したのです。
http://www.j-reimei.com/sanmendaikokuten.htm
徳川家康公は大黒さまを崇敬していたというお話
太閤秀吉が三面大黒さまを福の神として信仰したことは、秀吉の念持仏としたと伝わる京都、円徳院の三面大黒天像秀吉型などが伝わり、よく知られているが、徳川家康公にいたってはあまり知られていない。
徳川家康は、ある時大黒さまの夢を見てこれは吉夢だとして、奈良の甲冑師に命じて大黒頭巾形の兜(かぶと)を用いた具足を造らせ、これを御霊夢形といって大切にしたという。天正十二年(1584)に家康が羽柴秀吉と小牧、長久手で戦ったとき、勝川という所でこの具足を着けて戦い大勝利したので勝川の具足と名付けられた。
また、家康は天正十年に信長に招かれ上洛した帰りに、明智光秀が本能寺で信長を襲ったでのあるが、身の危険を感じたのか、三河に帰る途中に漢国神社に大黒頭巾形の兜がついた具足を奉納している。
晩年の家康は肥満していて自分を大黒天のように福々しく描かせ耳も大黒耳のように福相として頭巾を被らせている。二百七十年も続いた天下泰平の江戸時代を開いた立役者には大黒様のイメージが似合ったのであろう。
家康の大黒崇拝は、大黒様が、そのルーツがインドの神様で、全てのものを破壊し、また救うマハカラ、シバ神の化身という忿怒形(ふんぬぎょう)の恐ろしい顔をした神であったが、日本に伝わってにこにこ顔の福徳を強調した福の神に変わっていく過程での中世頃の戦闘神として信仰された例である。
随筆「耳袋」、大国主命 (大黒様)ご利益
江戸時代、大黒に祈ったら床下から金が出てきた話
江戸時代の後期、下級武士から勘定奉行・町奉行まで出世した根岸肥前守鎮衛(やすもり)が書いた随筆「耳袋」の中に「大黒に祈りて福を得し事」というのがあります。
元禄の頃、浅草に善五郎という大変正直な者がいて、大黒様を念じていたが霊験がないままでいた。あるとき、夢に大黒さまが現れ傍らに金銀財宝がたくさんあるのを見て、「私は長年大黒天を祈念しているから少し私にも恵んで欲しい」と頼みました。
その後、夢のお告げに随って色々なことがあり家の床下の土中から金三百両が出てきました。夫婦はこの金を元手として懸命に働きましたので程なく裕福な身となったということです。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/8261/reiken/daikoku.html
豊臣秀吉、大国主命 (大黒様)ご利益
三面大黒天というのは、秀吉の出世守り本尊として知られています。
秀吉は挫折ばかりの少年時代に三面大黒天に出会います。直感で自らの守護神と定め、身近にその肖像を置くようになってから運が開けてどんどん出世し、最後には天下人にまでなります。どんな願望も聞き届けてくださるという大黒天にさらに、毘沙門天、弁財天が加われば願いは次々と叶えられるのですね。
http://www.miyako80.co.jp/60002112a/archives/2784
豊臣秀吉の少年時代は悲惨でした。尾張国中村(現在の名古屋市中村区)の百姓の子として生まれた秀吉は7歳で父と死別し、母の再婚相手から虐待される不遇の少年時代を送ったといいます。寺に預けられたもののすぐに追い出され、帰り着いた家では貧しい家計を支えるため薪を刈る重労働の日々。15歳の時わずかな金を渡されて家を出て、木綿針の行商をしながら放浪します。
最初に仕えたのは今川氏配下の松下加兵衛という武将です。秀吉は一生懸命働いて目をかけられたものの、先輩たちに疎まれて陰湿なイジメに遭います。蔵からの盗難を防ぐ対策を立てたところ、盗んでいた先輩たちが「あのサル(秀吉)が真犯人だ」と逆に濡れ衣を着せたのです。秀吉は孤立無援となり、何の落ち度もないのにリストラされてしまいました。再び放浪の身となった後は職を転々としながら食いつないでいたといわれます。
そんな辛く苦しい挫折ばかりの少年時代、偶然出会ったのが三面大黒天です。秀吉は強力な三神が三位一体となった三面大黒天を見るなり「これは凄いぞ!」と直感します。そして自らの守護神と定め、常に身近に三面大黒天の小像を置くようになりました。この出会いが彼を変えました。
とつぜん運が開けたのはその後です。当時まだ尾張の小大名にすぎなかった織田信長に仕えることになり、天下人への第一歩を踏み出したのです。
http://www.j-reimei.com/sanmendaikokuten.htm
大黒様を祀ると金が入る
三木大雲というご住職がおります。
マスコミにも出ている有名なお坊様です。
その三木住職が蓮久寺に家族とともに赴任してきてすぐのこと。
ある夜、住職は妙な夢を見ました。寺に見知らぬ男がやって来た夢です。
大きな袋を背負い、手には金槌のようなものを持っています。
「なにか御用ですか」と聞くと、その男は出て行こうとしました。
その時、袋からなにやら落ちました。
「落としましたよ」と住職が言うと
「ああ、それくらいならあんたにやるわ」と言って男は出て行ったそうです。
ふとこの夢から覚めたとき、住職はなんと布団の上に正座をしていたのだそうです。
これは何かある。と住職は思いました。
あの男性の格好というのは、どう考えても「大黒天」の風体にオーバーラップします。
しかし蓮久寺の本尊には大黒天はない。
赴任したばかりだから、寺の隅々までよく知っているわけではない。
そこで、夫人や子供たちを総動員し、「この寺のどこかに大黒天があるはず」と
探し回ったところ、奥から大黒様の像が出てきたのだそうです。
それはかなり古いもので、木製の大黒天は相当傷んでいました。
これは修復しなければと住職は思いましたが、寺にはお金がない。
そこで、これ以上痛まないように、
出入りしている仏壇屋さんに頼んで預かってもらうことにしました。
お金を蓄えたら改めて修復しようというつもりだったそうです。
ところが、その仏壇屋さんは3日目に大黒天を返してきました。
「この大黒さん、絶対おかしいわ」。
聞けば、仏壇屋さんが大黒天を持ち帰った途端
毎日飛ぶように仏壇が売れるというのです。
仏壇なんちゅうもんは、そうそう毎日飛ぶようにぼんぼん売れていくものと違う。
これはおかしい。この大黒さん、おかしいわ
仏壇屋さんは気味が悪くなったのでしょう。
さあ困ったのは住職です。
そこで若手の知り合いの仏師に一時的に保管してもらうことにしました。
お金ができたら彼に修復をお願いしようと思ったのです。
1週間後。
その仏師も大黒様を返してきました。
「これ、おかしいです」
ご存知のように、まだ私は若輩なので、そんなに仕事がありません。
ところがこの大黒天を持ち帰ったとたん、
毎日のように仕事が舞い込み、とてもではありませんが
対応不能になってしまいましたと言います。
仏師は木箱に大黒を入れ、乾湿制御の機材などもつけて返してきたそうです。
「寺で保管したほうがよい」と。
住職は「さて、いよいよ困った。
いったいどうしたものか」と思っていたら、ある男性がぶらりと寺にやって来ました。
その人は豚の貯金箱を抱えていました。
「こちらで、大黒さんを修復する費用に困っているとうかがったもので」
喜捨してくれるというのです。
住職は御礼を述べ、一体どこでそんな話を聞いたのかと尋ねると、
仏壇屋さんの筋から小耳にはさんだと答えました。
私もお金には大変困っているので、ご住職の気持ちがよく分かります。
今わたしに残っているお金は、これだけなんですが、つかってください
男性が豚の貯金箱を叩き割ると、10万円以上の金額が入っていました。
これを全部寺に喜捨すると言うのです。
お金に困っているというお話を聞いた以上、こんなには頂けません。
ほんの少し頂きますからあとは全部お持ち帰りください」
住職はそう言いましたが、男性は全部寺に喜捨すると言ってきかない。
自分にはまだ1万2000円あるからこれで充分だと言って、帰って行きました。
その15分後です。
その男性から寺に電話が入りました。
京都駅まで歩いている途中に、スクラッチを売っているのを見て
所持していた1万2000円で全部買ったのだそうです。
その場で結果がわかってそれが大当たり!それで住職にすぐ電話したと言うのです。
「今すぐ戻って、これも喜捨します」
いえいえ、それは大黒さんが、あなたに御礼の意味で授けてくださったのでしょう。
ご自身でお持ちになってください
男性は納得しがたかったようですが、そのまま当たったお金を持ち帰りました。
この男性、それからしばらく寺に姿を見せなかったのですが
ある日ひょっこり寺を訪れて来ました。
その後の話がまたまた仰天です。
男性はあの日、スクラッチで当たったお金を持って、
その足で競馬場に行ったのだそうです。
本人曰く、生まれてこのかた一度も競馬をやったことがない。
適当な数字を考えて、額を一点張りで賭けた。
なんとそれが万馬券!
もともと一戸建てを所有していたので、それを壊してビル一棟を建てなおし
今は賃貸収入で食べていると言うのです。
実はこの男性、蓮久寺に豚の貯金箱を持って訪れたとき
自殺するつもりだったのだと告白しました。
死ぬ前にひとつくらい、何か良いことをしておきたいと思い
たまたま大黒天のことを小耳にはさんだので、
その修復費用の多少なりとも助けになればということで
あの日、貯金箱を持って寺を訪れてたのだそうです。
すべてを投げ出すような覚悟で、全財産を
喜捨(喜んで寄付)しよう!と思った男性の
心根に感動した大黒様が、
「おまえはエライ!」と、ご褒美を男性に
授けたのでしょう。
今では大黒様も綺麗に修復され、
蓮久寺に大事に御祭りされているそう
です。「与える気持ち」のある人には、
大変ご利益がある大黒様という話です。
やはり、与えるが先なのですね。
https://ameblo.jp/sono1216/entry-12307604113.html
大黒様を祀ると金が入る
『光明世界』創刊号、昭和10(1935)年2月4日発行
最後に、ここへお祭りした大黒様の事についてお話したいと思います。
私は、一昨年の暮から恵比寿大黒をお祭りし、人にも祭らしていますが、
恵比寿大黒についての、細いお話は、他日お話する事に致しますが
これを祭ると、確かにお金が入って来ます。
病貧争が無くなるについて貧をなくする、
これは観音様が、大黒様をお使いになるのであります。
五月一日に応神堂へ引越して来ました時、
その日に、俵の上に踊っている大黒様が、偶然、手に入ったので、
大変縁起がいゝと思っていると、今日まで予想外に金が入りました。
全く不思議に入るので、不自由しなかったんであります、
これは大黒様が働いてくれたんだと思っております。
最近その大黒様を、是非欲しいという人がありましたので、
この大きい大黒様が入る事が判っていたので、差上ることにしたんであります。
暮の二十四日の日に、麻布に、恵比寿大黒が沢山ある道具屋があるというので
川本さんに聞いて行ってみましたが、正面にこの大きな大黒様があったのであります。
またその外、小さいのが沢山有りましたから、訊(き)いてみますと、
道具屋の主人は留守だったんで、値段は判らず、
小さいのは売るが、大きいのは永い間家に祭ってあるので、
売るか売らんか判らんとの妻君の話、
とにかく、主人が帰ったら電話で返事するというので、そのまま帰ったんであります。
間もなく電話が掛って来て、アレは、値段は電話では言えぬから
御都合の時にお出でを願いたいと、いう事なので、
こちらも忙しいから行けぬ、序(ついで)の時に来てもらいたい、と返事をしたんです。
ところが行けないと言っていたのが、
やがて、一時間計(ばか)り経ってから、やって来たのであります。
その道具屋は以前から観音様と大黒様信心で中々熱心家なんであります。
最近一週間の内に二度までも奈良の東福寺へ行って如意輪観音様を拝んで来て、
ちょうどこの朝、奈良から帰って来て、用足しに出掛け、
帰ると家内から聴いて早速お電話したんですが、電話をかけさして夕飯を食ってると、
体がブルッとして何物かに引寄せられるよう、
居ても起ってもいられぬ気がして、不敢取(とりあえず)、小さい、
恵比寿大黒を七八組持ってやって来たので、
今まで他所(よそ)へもって出た事は一度もない、
こんな事は初めてだ、というて大変に驚いていました。
それは千手観音力で引寄せられるんだから仕方がないと、
私は言ってやり、持って来た恵比寿大黒六組を全部買ってやったんであります。
それからあの大きな大黒様がほしいと言えば、なる程そう言わるれば
先生の方へあの大黒様が行きたがっているように思われ、
いよいよ私から別れる時が来たのかも知れません。
しかも今日のこの二十四日は巳(み)の日であって大変結構な日ですが、
三十一日は子の日でありますから、三十一日に持って伺います。と言う話になったのであります。
値段も定(き)めないのです。
この大晦日の子の日という事は、何十年来滅多にない事で珍らしい事なんだそうであります。
その後二、三日してやって来ましたが、
あの大黒様がフワリフワリ雲に乗って家から出て行く夢をみたというんです。
私は、それは未だ貴方が、大黒様に執着があるからそれを取る為だと説明しました。
道具屋はそれを絶対に他所へ出してはいけないという意味にとっていたんで
私の言葉を聞いて驚いておりました。
その後またやって来て、今度は大黒様が竹の手すりの中に居た夢を見たんだというのです。
それでその夢は大黒様がこちらへ来られゝば
竹の手欄(てすり)の中に祭られるんだと言う事を申したんで
ちょうど私も昨晩、家内とそんな話をしていたんだといってやりました。
元その道具屋も数万の金を持っていたんだそうです
が、三四年程前から、する事為す事損をして、すっかり無くしてしまったんだそうですが、
それは大黒様がこちらへ来るべく手放さす様にするので、そうされたのであろうと思います。
それで三十一日の夜遅くこの大黒様を持って来たような訳であります。
そうして大晦日の夜遅く一時頃、観音様と大黒様をお祭りしてから
今まで土砂降りに降っていた雨が、ピタリやんだのは不思議でありました。
その晩その道具屋は実に名残惜しそうにいかにも、
別離苦の悲しみに堪えないように、
大黒様に暫(しばら)く取縋ったりして帰って行きました。
ちょうど娘を嫁に与(や)ったような状態でありました。
それで観音様は大黒様を働かして
今後は非常に金を集められるだろうと思うのであります。
本日の発会式のその前日に、大黒様がどうしても来なければならぬという事も
実に不思議であります。
応神堂を始めた時も今度もこうして、大黒様だけ御一体入るという事も不思議であります。
いくら神様は有難い信仰は結構だと言っても物質が不自由だったらどうにもなりません。
仕事が出来ません。
宗教によっては物質欲を非常に制しますが
物質をいゝ事に使い楽しく暮すという意味においては結構なのであります。
観音様は非常に貧乏がお嫌いでありまして
観音様をお祭りし大黒様を祭り、観音行をすれば
物に不自由するような事は絶対に無い事を私は保証致します。
それから、大黒様をお祭になる方は
いつでも私が開眼をして差上げますから持ってお出でになって下さい。
岡田茂吉師の御論文です
https://ameblo.jp/miyatasa/entry-10852136724.html
三木大雲というご住職がおります。
マスコミにも出ている有名なお坊様です。
その三木住職が蓮久寺に家族とともに赴任してきてすぐのこと。
ある夜、住職は妙な夢を見ました。寺に見知らぬ男がやって来た夢です。
大きな袋を背負い、手には金槌のようなものを持っています。
「なにか御用ですか」と聞くと、その男は出て行こうとしました。
その時、袋からなにやら落ちました。
「落としましたよ」と住職が言うと
「ああ、それくらいならあんたにやるわ」と言って男は出て行ったそうです。
ふとこの夢から覚めたとき、住職はなんと布団の上に正座をしていたのだそうです。
これは何かある。と住職は思いました。
あの男性の格好というのは、どう考えても「大黒天」の風体にオーバーラップします。
しかし蓮久寺の本尊には大黒天はない。
赴任したばかりだから、寺の隅々までよく知っているわけではない。
そこで、夫人や子供たちを総動員し、「この寺のどこかに大黒天があるはず」と
探し回ったところ、奥から大黒様の像が出てきたのだそうです。
それはかなり古いもので、木製の大黒天は相当傷んでいました。
これは修復しなければと住職は思いましたが、寺にはお金がない。
そこで、これ以上痛まないように、
出入りしている仏壇屋さんに頼んで預かってもらうことにしました。
お金を蓄えたら改めて修復しようというつもりだったそうです。
ところが、その仏壇屋さんは3日目に大黒天を返してきました。
「この大黒さん、絶対おかしいわ」。
聞けば、仏壇屋さんが大黒天を持ち帰った途端
毎日飛ぶように仏壇が売れるというのです。
仏壇なんちゅうもんは、そうそう毎日飛ぶようにぼんぼん売れていくものと違う。
これはおかしい。この大黒さん、おかしいわ
仏壇屋さんは気味が悪くなったのでしょう。
さあ困ったのは住職です。
そこで若手の知り合いの仏師に一時的に保管してもらうことにしました。
お金ができたら彼に修復をお願いしようと思ったのです。
1週間後。
その仏師も大黒様を返してきました。
「これ、おかしいです」
ご存知のように、まだ私は若輩なので、そんなに仕事がありません。
ところがこの大黒天を持ち帰ったとたん、
毎日のように仕事が舞い込み、とてもではありませんが
対応不能になってしまいましたと言います。
仏師は木箱に大黒を入れ、乾湿制御の機材などもつけて返してきたそうです。
「寺で保管したほうがよい」と。
住職は「さて、いよいよ困った。
いったいどうしたものか」と思っていたら、ある男性がぶらりと寺にやって来ました。
その人は豚の貯金箱を抱えていました。
「こちらで、大黒さんを修復する費用に困っているとうかがったもので」
喜捨してくれるというのです。
住職は御礼を述べ、一体どこでそんな話を聞いたのかと尋ねると、
仏壇屋さんの筋から小耳にはさんだと答えました。
私もお金には大変困っているので、ご住職の気持ちがよく分かります。
今わたしに残っているお金は、これだけなんですが、つかってください
男性が豚の貯金箱を叩き割ると、10万円以上の金額が入っていました。
これを全部寺に喜捨すると言うのです。
お金に困っているというお話を聞いた以上、こんなには頂けません。
ほんの少し頂きますからあとは全部お持ち帰りください」
住職はそう言いましたが、男性は全部寺に喜捨すると言ってきかない。
自分にはまだ1万2000円あるからこれで充分だと言って、帰って行きました。
その15分後です。
その男性から寺に電話が入りました。
京都駅まで歩いている途中に、スクラッチを売っているのを見て
所持していた1万2000円で全部買ったのだそうです。
その場で結果がわかってそれが大当たり!それで住職にすぐ電話したと言うのです。
「今すぐ戻って、これも喜捨します」
いえいえ、それは大黒さんが、あなたに御礼の意味で授けてくださったのでしょう。
ご自身でお持ちになってください
男性は納得しがたかったようですが、そのまま当たったお金を持ち帰りました。
この男性、それからしばらく寺に姿を見せなかったのですが
ある日ひょっこり寺を訪れて来ました。
その後の話がまたまた仰天です。
男性はあの日、スクラッチで当たったお金を持って、
その足で競馬場に行ったのだそうです。
本人曰く、生まれてこのかた一度も競馬をやったことがない。
適当な数字を考えて、額を一点張りで賭けた。
なんとそれが万馬券!
もともと一戸建てを所有していたので、それを壊してビル一棟を建てなおし
今は賃貸収入で食べていると言うのです。
実はこの男性、蓮久寺に豚の貯金箱を持って訪れたとき
自殺するつもりだったのだと告白しました。
死ぬ前にひとつくらい、何か良いことをしておきたいと思い
たまたま大黒天のことを小耳にはさんだので、
その修復費用の多少なりとも助けになればということで
あの日、貯金箱を持って寺を訪れてたのだそうです。
すべてを投げ出すような覚悟で、全財産を
喜捨(喜んで寄付)しよう!と思った男性の
心根に感動した大黒様が、
「おまえはエライ!」と、ご褒美を男性に
授けたのでしょう。
今では大黒様も綺麗に修復され、
蓮久寺に大事に御祭りされているそう
です。「与える気持ち」のある人には、
大変ご利益がある大黒様という話です。
やはり、与えるが先なのですね。
https://ameblo.jp/sono1216/entry-12307604113.html
大黒様を祀ると金が入る
『光明世界』創刊号、昭和10(1935)年2月4日発行
最後に、ここへお祭りした大黒様の事についてお話したいと思います。
私は、一昨年の暮から恵比寿大黒をお祭りし、人にも祭らしていますが、
恵比寿大黒についての、細いお話は、他日お話する事に致しますが
これを祭ると、確かにお金が入って来ます。
病貧争が無くなるについて貧をなくする、
これは観音様が、大黒様をお使いになるのであります。
五月一日に応神堂へ引越して来ました時、
その日に、俵の上に踊っている大黒様が、偶然、手に入ったので、
大変縁起がいゝと思っていると、今日まで予想外に金が入りました。
全く不思議に入るので、不自由しなかったんであります、
これは大黒様が働いてくれたんだと思っております。
最近その大黒様を、是非欲しいという人がありましたので、
この大きい大黒様が入る事が判っていたので、差上ることにしたんであります。
暮の二十四日の日に、麻布に、恵比寿大黒が沢山ある道具屋があるというので
川本さんに聞いて行ってみましたが、正面にこの大きな大黒様があったのであります。
またその外、小さいのが沢山有りましたから、訊(き)いてみますと、
道具屋の主人は留守だったんで、値段は判らず、
小さいのは売るが、大きいのは永い間家に祭ってあるので、
売るか売らんか判らんとの妻君の話、
とにかく、主人が帰ったら電話で返事するというので、そのまま帰ったんであります。
間もなく電話が掛って来て、アレは、値段は電話では言えぬから
御都合の時にお出でを願いたいと、いう事なので、
こちらも忙しいから行けぬ、序(ついで)の時に来てもらいたい、と返事をしたんです。
ところが行けないと言っていたのが、
やがて、一時間計(ばか)り経ってから、やって来たのであります。
その道具屋は以前から観音様と大黒様信心で中々熱心家なんであります。
最近一週間の内に二度までも奈良の東福寺へ行って如意輪観音様を拝んで来て、
ちょうどこの朝、奈良から帰って来て、用足しに出掛け、
帰ると家内から聴いて早速お電話したんですが、電話をかけさして夕飯を食ってると、
体がブルッとして何物かに引寄せられるよう、
居ても起ってもいられぬ気がして、不敢取(とりあえず)、小さい、
恵比寿大黒を七八組持ってやって来たので、
今まで他所(よそ)へもって出た事は一度もない、
こんな事は初めてだ、というて大変に驚いていました。
それは千手観音力で引寄せられるんだから仕方がないと、
私は言ってやり、持って来た恵比寿大黒六組を全部買ってやったんであります。
それからあの大きな大黒様がほしいと言えば、なる程そう言わるれば
先生の方へあの大黒様が行きたがっているように思われ、
いよいよ私から別れる時が来たのかも知れません。
しかも今日のこの二十四日は巳(み)の日であって大変結構な日ですが、
三十一日は子の日でありますから、三十一日に持って伺います。と言う話になったのであります。
値段も定(き)めないのです。
この大晦日の子の日という事は、何十年来滅多にない事で珍らしい事なんだそうであります。
その後二、三日してやって来ましたが、
あの大黒様がフワリフワリ雲に乗って家から出て行く夢をみたというんです。
私は、それは未だ貴方が、大黒様に執着があるからそれを取る為だと説明しました。
道具屋はそれを絶対に他所へ出してはいけないという意味にとっていたんで
私の言葉を聞いて驚いておりました。
その後またやって来て、今度は大黒様が竹の手すりの中に居た夢を見たんだというのです。
それでその夢は大黒様がこちらへ来られゝば
竹の手欄(てすり)の中に祭られるんだと言う事を申したんで
ちょうど私も昨晩、家内とそんな話をしていたんだといってやりました。
元その道具屋も数万の金を持っていたんだそうです
が、三四年程前から、する事為す事損をして、すっかり無くしてしまったんだそうですが、
それは大黒様がこちらへ来るべく手放さす様にするので、そうされたのであろうと思います。
それで三十一日の夜遅くこの大黒様を持って来たような訳であります。
そうして大晦日の夜遅く一時頃、観音様と大黒様をお祭りしてから
今まで土砂降りに降っていた雨が、ピタリやんだのは不思議でありました。
その晩その道具屋は実に名残惜しそうにいかにも、
別離苦の悲しみに堪えないように、
大黒様に暫(しばら)く取縋ったりして帰って行きました。
ちょうど娘を嫁に与(や)ったような状態でありました。
それで観音様は大黒様を働かして
今後は非常に金を集められるだろうと思うのであります。
本日の発会式のその前日に、大黒様がどうしても来なければならぬという事も
実に不思議であります。
応神堂を始めた時も今度もこうして、大黒様だけ御一体入るという事も不思議であります。
いくら神様は有難い信仰は結構だと言っても物質が不自由だったらどうにもなりません。
仕事が出来ません。
宗教によっては物質欲を非常に制しますが
物質をいゝ事に使い楽しく暮すという意味においては結構なのであります。
観音様は非常に貧乏がお嫌いでありまして
観音様をお祭りし大黒様を祭り、観音行をすれば
物に不自由するような事は絶対に無い事を私は保証致します。
それから、大黒様をお祭になる方は
いつでも私が開眼をして差上げますから持ってお出でになって下さい。
岡田茂吉師の御論文です
https://ameblo.jp/miyatasa/entry-10852136724.html